■天使の飴玉 2■



 土曜日の朝……。

 スカリーが目覚めたのはベッドの中であった。
 昨夜は……そう、カウチでそのまま寝てしまって……。
 見慣れた部屋の天井をぼんやりと見つめながら自分の手の平を見て嘆息する。
 やっぱり……夢じゃなかったのね。
 小さな白いぷよぷよの手。
 ふと思い出し……うつ伏せになると顔を伏せる。
 肩が震えるのが堪えきれない。
 それでも起き上がった小さなスカリーは大きく息を吐くと勢いよく起き上がる。
 今はとにかくこの状況をなんとかしなければならない。
 全てはそれからだと自らを奮い立たせながら、小さな身体に気合を込めてスカリーは寝室を後にした。

 とりあえずとスカリーの母が一番近くの店で買ってきてくれた幼児服に2人は袖を通す。
 色違いのキャラクター物のスウェットの上下姿にモルダーはご満悦であったが、スカリーは機嫌の悪さを隠そうともしない。
 それでも母が作ってくれた朝食を食べるのは本当に久しぶりだったし、美味しかった。
「お皿を洗い終わったら3人で買い物に行きましょう」
 後片付けをしているマーガレットの手伝いをしようとするが却って邪魔になるという理由で、今はモルダーと2人で朝のニュースを見ている。
 3歳児が難しい顔をしてニュースを見ている姿なんて色気がないよなと苦笑いを浮かべながらモルダーも膝を抱え込んでいるスカリーの隣で紅茶を飲んでいた。
 モルダーもこの状況を多少は楽しんでいたが、楽観視しているわけではない。
「ちゅかりー……」
「何?」
 氷の如く冷たい返事。
 今朝スカリーが起き出してからずっとこうだ。
 あまりにもそっけない態度にとうとうスカリーの母もたしなめた程である。
 理由は……モルダーも察しがついていた。
 洗面所の鏡を覗き込んでいたスカリーは自分ではなく、確かに別の誰かを見ていたのである。
 今の彼女は失った小さな娘エミリーによく似ていた。
「それよりモルダー、その舌足らず言葉はどうにかならないの?」
 苛々しているような言葉にモルダーは肩を竦めてみせる。
「ちかたがないさ。僕は幼稚園に上がるくらいまで赤ちゃん言葉が抜けなくてじゅいぶん母をちんぱいしゃしぇたらちいち」
「そう……」
 それきりまた会話が途切れてしまう。
 気まずい雰囲気の中、ニュースを読み上げるキャスターの声だけが虚しく響く。
 背後のキッチンから聞こえてくるのはカチャカチャというマーガレットが皿を洗う音。
 テレビに見入るスカリーの隣でモルダーは彼女に気付かれぬようそっとリモコンを掴む。
 さっき新聞で確認したのでどのチャンネルで何をやっているのかは頭に入っている。
 突然、チャンネルが切り替わりニュースがお子様向けアニメになった。
「ちょっと、モルダー……」
 我に返ったかのように顔を向けて睨む幼女のスカリーに、モルダーはというと子供の姿とは思えないニヤニヤ笑いを浮かべたままだ。
「ちゃっきからニュースばかりでちゅまらなくない?」
「やめてよ、私はニュースが見たいのよ」
 そう言うとモルダーの小さな手からリモコンを取り上げると、またニュースに切り替える。
「この事件はもう朝から3回目だ」
 またアニメに切り替わった。
「モルダー、いい加減にして頂戴。ここは私の家よ!」
 ニュースに切り替わる。
「しゅかりーのケチ!」
 またアニメ。
「なんですって!」
 リモコンを持ったままカウチを飛び降りたモルダーがキッチンに逃げ込むのを、拳を振り上げたスカリーも後を追う。
「返しなさい!」
「やだね」
「ちょっ・・・あなた達?」
 マーガレットの周囲をぐるぐると回ってスカリーの追撃をかわしたモルダーは、またリビングに逃げ出す。
 追いかけっこをしている2人をスカリーの母は仕方がないわねと笑って見送る。
 バタバタと小さな足音が2つ、スカリーの家の中に響き渡る。
「モルダー、返して!」
 何故こんな事を思いつつも、半ばヤケになってスカリーは寝室に逃げ込んだモルダーを追って室内に入ると唖然とした。
「モルダー?」
 どこにもいない。
「モルダー、どこに行ったの?」
 シーツを剥がすがベッドの中にはいないのに不安を感じクローゼットの中を覗き込んでも、モルダーの姿は見つからない。
 ベッドの下は暗くてよくわからなかったがいないようなので思わず窓の方へ視線を向けるが鍵は掛かったままである。
「モルダー何処?お願い、返事をして頂戴!」
 自分の声が泣きそうである事にも気付かず思わずスカリーが叫んだその時である。
「わっ!」
「キャーッ!!!」
 突然ベッドの下から伸びた手に足を掴まれスカリーはその場で尻餅をついてしまった。
「僕だよ、しゅかりー」
 目を見開いたまま動かないスカリーの様子にモルダーがベッドの中から這い出し悪戯っ子そのものといった顔で彼女の顔を覗きこんだ直後、横っ面を小さな拳で殴られる。
「何考えてるのよ!このスプーキー!!」
「しゅかりー、悪かった!しゅまない!」
 子供の力なので大した痛みはないのであるが、こうも連続して殴打されるのはかなわない。
 余程驚いたのであろう泣きながら両手の拳でポカポカとめった打ちしてくる姿に、モルダーは腕を伸ばすとスカリーの小さな身体を抱き締める。
「ごめん、しゅかりー。ここまで驚かせるちゅもりは……」
「うるさいわね、離してっ!」
「ほんとに、ごめん。君をなかちぇるつもりはなかったんだ」
 ほんの少しからかうだけのつもりがまさか泣かせてしまう事になろうとは……さすがのモルダーもスカリーをからかった事を後悔しながら宥めるように彼女の背中をぽんぽんと叩いてあやす。
 スカリーもまた驚いていた。
 少し驚かされたくらいでこんなに簡単に……しかも子供みたいに泣きじゃくるなんて……って
今の私は子供だったわ……。
 段々落ち着いてくるのがわかり同時に自分が暖かい腕に包まれていると安心している事実に顔を上げると、そこには今にも泣き出さんばかりの子犬顔。
「ほんとに……ごめん……」
「もういいわ、モルダー……」
 赤くなっていくのが自分でもわかりモルダーの胸を押し返すようにして立ち上がると、転がっているリモコンを拾い上げスカリーは寝室を出る。
 残されたモルダーは床に座り込んだままリビングから聞こえてくるニュースを聞くわけでもなく、抱き締めた彼女の身体から漂ってきた匂いがあの飴玉と同じ甘いミルクだったなと思い返し思わずニンマリとしていた。


 女の買い物ってのはどうしてこう……。
 スカリーの母マーガレットの運転する車でデパートの子供服売り場に連れて来られたモルダーは、マーガレットとスカリーが服を選んでいるのを少し離れた場所に置いてあるベンチに腰掛けたまま大欠伸しながら眺めていた。
 僕はこれでいいと手にとったリトル・グリーンマンのトレーナーを、この親子は一瞥するなり却下してそれ以後は彼抜きで洋服選びをしている。
 ポケットに手を入れ味覚が変わってしまったせいなのかあまり美味しく感じられないひまわりの種をいじりながら両足をブラブラさせ何か面白い事はないかと周囲を見回す。
 そして、彼は最高に面白い玩具を見つけた。
 ちらりとスカリー母娘を見ると、2人はモルダーに背を向けたまま今度はコートを選んでいるのを確認し、彼はベンチから下りて親子連れで湧き上がっている玩具売り場の中へと姿を消した。
 見覚えのある涼しげな頭をしたガタイの良いスーツを着た後姿。
 何故彼がこんな所に?という疑問はあるが、退屈しきったモルダーには絶好のカモである。
 棚の玩具に気を取られているようなフリをしながらゆっくりとレジに近づいていく。
「ではリボンもおかけしてよろしいのですね?」
「ああ……知り合いのお孫さんへのプレゼントだ」
 あれは……随分と可愛らしい子犬の縫いぐるみじゃないか。箱なんかに入れないで首にリボンでも付けてから渡してやったほうが喜ぶんじゃないのか?
 そんなどうでもいい事を考えながら、モルダーは注意深くかつ迅速に男の背後に忍び寄っていく。
 男の背後まで忍び寄った時、彼はとびきりの子犬顔で男のスーツのズボンを掴んだ。
「おいたん!」
 突然声を掛けられ、男は驚いて周囲を見回す。
 そこにいたのは天下のFBI副長官スキナーであった。
「ん?どうしたんだ?」
 スキナーは驚きながらも足元にいるのはモルダーなのであるが、勿論彼が知る由もない。
 彼の目に映るのはにこにこと愛らしく自分に笑い掛けてくる幼い子供。
 最もモルダーからすればどうやってこの上司をからかってやろうかと内心沸き起こる悪戯心を抑えきれないでいるだけである。
「おいたん……」
「なんだい?」
「どうちて頭光ってるの?」
「?!」
「どうちて?ねえ、どうちて?」
 あんまりな言葉と共にスーツを掴む愛らしい顔立ちをした小悪魔の姿に、手を焼きまくっているふてぶてしい部下と重なって見えるのは何故だと自問自答する。
 その間にも幼子の姿をしたモルダーは「どうちて?なんで?」を無邪気な声で連発しまくっていた。
 周囲の突き刺さる視線とくすくすという忍び笑いにスキナーはとにかくこの場を立ち去る事を決意する。
「坊や、すまないがおじさんは急用があってすぐに行かなきゃならない。悪いな……」
 そう言いながら仕返しと言わんばかりにぐりぐりと乱暴にモルダーの頭を撫でるとFBIの副長官は包装された箱を抱えてその場をそそくさと立ち去っていく。
「バイバイ、光るおじちゃん。またあしょんでね!」
 むごい一言を投げつけたモルダーはスキナーの姿が見えなくなると同時に笑い出す。
 ちょっと可哀相な事をしたなと思いつつも、週明けは溜まっている報告書を全部仕上げてしまおうと心に決めスカリーの所へ戻ろうと子供服売り場へと足を向けた時である。
 見覚えのある紺のダッフルコートにマフラー姿の幼子。
 一瞬頭の中が真っ白になるが、踵を返して立ち去ろうとする姿にモルダーは我知らず走り出す。
「待っちぇくれ!」
 人を掻き分けて前に進もうとする幼児に周囲の者たちは驚きつつも道を空ける。
「ちょっと……モルダー!」
 目の前を走り抜けていったモルダーの姿にスカリーと母は顔を見合わせる。
「ママはここで待っていて!」
「ちょっと、ダナ?!」
 マーガレットが止めるのも聞かずスカリーもまたモルダーの後を追うが、この人込みではなかなか前に進めず苛立ちだけが募っていく。
「ちょっと、ここを通してちょうだい!」
 大人びた口調で喚く愛らしい幼女の様子に周囲の者達は何事かと騒ぎ出す。
「待ってくれ!」
 人気の少ない非常階段近くで漸く追いついた。
 いや待っていてくれたらしい。
「君は……いっちゃい何者だ?」
 モルダーの言葉に幼子はにこっと笑って見せる。
「いえた?」
「……え?」
 逆にモルダーの方が戸惑う。
「そりぇ、あげたよね。いえた?」
「待ってくりぇ、何の事なのか僕にはさっぴゃりわかりゃない!」
 本当はわかっていたが、認めるわけにはいかなかった。
 また僕は彼女を巻き込んでしまったのだという思いと、あの時何故あんな事を考えてしまったのだろうかとも……。
 だが目の前の子供の表情は変わらない。
 愛くるしい笑みを浮かべたまま腕を上げる。
「ほら、きたよ」
「え?」
 男の子が指差した先に視線を向ける前に、声が飛び込んでくる。
「モルダー、あなたこんな所で何してるの?」
 振り返ったモルダーの前に姿を現したのは、ここまで走ってきたのであろう息を切らしたスカリーであった。
「しゅかりー、聞いてくれ!この子が僕らを……」
「この子って……ここにはあなた以外誰もいないわよ」
「え?」
 視線を戻した先には、誰もいない。
「しょんな事はない!」
「モルダー、落ち着いて!」
「しゅかりー、僕は……!」
 地団駄を踏みながら尚を言葉を続けようとしたモルダーは不意に身を翻し非常階段を下りていく。
「ちょっと、モルダー!」
 スカリーも慌てて後を追う。
 だが2人とも忘れていた。
 今は子供でありいつものように階段を駆け下りようとするが、足がもつれてうまくいかず手すりの柵を掴みながら一段ずつ下りていくしかない。
「ちょっと待って!」
「たちかに僕は見たんだ!」
 怒鳴り合いながら階段を下りていく。
 子供用品売り場の下は婦人服売り場である。
「絶対にみちゅけだちてやる!」
 意気込むモルダーはそのまま婦人服売り場へと駆け込むのをスカリーも追いかける。
 周囲を見回しながら子供の姿を捜すが、母親と一緒にいるか父親や兄弟達と一緒に退屈そうに待ちくたびれているかのどちらかだ。
「いったい何処に……」
 連れ戻すつもりがいつの間にやらモルダーと一緒になって捜している。
 これじゃあ普段と何も変わらないじゃないと笑みを浮かべたスカリーであったが、次の瞬間思いっきり眉を上げた。

 見上げると普段とはあまりにも目線が違う事に戸惑いすら覚える。
 同時に不安になってくるのは、幼い頃に迷子になって泣きながら両親を捜し回った事を思い出したせいなのか……。
 周囲を見回しながら走っていたモルダーは、すぐ右手側の店舗から出てきた女性と思いっきりぶつかってしまった。
「キャッ?!」
「うわっ!」
 派手に転んでしまった小さな子供の姿に、手提げ袋を手にした女性は体勢を立て直すと慌てて子供に駆け寄る。
「ごめんなさい、坊や。大丈夫?」
「だ、だいじょう……!」
 差し出された手を思わず掴みながら身体を起こしたモルダーは顔を上げると同時に心臓が止まりそうになった。
 ダイアナ……なんでこんな所にいるんだ?
 口から出そうになった言葉をなんとか飲み込むが、口をパクパクさせながら目を丸くしている幼児の姿に何も知らないダイアナは首を傾げて見下ろしている。
「大丈夫、怪我はない?」
 こくこくと頷く。
「パパかママとはぐれたのかしら?」
 ぶんぶんと首を振る。
 どちらにせよ、こんな光景をスカリーに見つかったら厄介だ。
 ダイアナが絡むとスカリーの機嫌は途端に悪くなる。
 今はとにかく一刻も彼女の傍から離れようと立ち上がるが、焦っているせいなのかどうにも上手くいかず結局ダイアナに助け起こされた。
「……坊や、どこかで会ったかしら?」
 さすが鋭い。
 思わず苦笑いを浮かべたモルダーであったが、どう見ても子犬顔。
 どこかで見た顔ねと思わずしげしげとダイアナがモルダーも顔を見つめていた時である。
「ちょっと、何してるのよ!」
 甲高い幼女の声に、モルダーとダイアナは同時に振り返った。
 そこにいたのは、腕組みをしながら片眉を上げている幼女の姿。
 ダイアナも思わずムッとした表情を浮かべる。
 この可愛らしい坊やがフォックスに似ているのなら、さしずめこの生意気な子猫ちゃんはダナかしら……。
 あまりにも鋭い観察眼であったが、よもやこの2人が本当にそうであるという事はさすがのダイアナも気付いてはいない。
「や、やあ……」
 女2人の睨み合いにモルダーは肩を竦めながら、つかつかと歩み寄ってきたスカリーを迎え入れる事しかできない。
「よかったわね、坊や。お友達が迎えに来てくれたのかしら?」
 もはや頷く事しかできずにいるモルダーの腕を、スカリーは思いっきり引き寄せるとダイアナを睨み上げる。
 なんでこの女がここにいるわけ?いてもおかしくはないわね……休日にショッピングなんて私だってこんな事に巻き込まれてなかったら……ちょっと、馴れ馴れしく彼の頭に触れないで頂戴!
「行こっ!」
 わざと子供っぽい口調でその場を離れていく。
「え?あ……」
 そのままズルズルと引きずられるようにしてモルダーはダイアナと別れる。
 角を曲がる直前、スカリーはダイアナに向かって思いっきり舌を出した。
 なんなのよ、あの小娘は……。
 唖然としながら見送ったダイアナは、周囲の視線に慌ててその場を立ち去った。
「しゅかりー、何を怒っているんだ?」
「モルダー、お願いだからその姿で勝手に動き回らないで欲しいの。でないとママだって心配するのよ!」
 結局ダッフルコートを着た子供は見つからず、モルダーとスカリーはまた階段を上がっていく。
「大丈夫さ。君のおかあしゃんは判ってくれていりゅみたいだし」
「万が一そんな姿でウロウロしていて誘拐でもされたらどうするつもり?」
「そんな物好きな奴、いりゅとは思えないけどね……」
 能天気な言葉にスカリーは何かを言いかけ……大きく深呼吸する。
「とにかく、信じたくないけど私達が子供になったのは事実なの。頭の中身はともかく外見も力も子供だって事を忘れないでほしいの」
 はいはい、そんな事は百も承知だよ。
 それよりも、さっきの君ときたら僕よりも子供だったじゃないか。
 子供の姿だからってダイアナに思いっきり……。
 自分の事はすっかり棚に上げたまま、モルダーはついくすりと笑ってしまう。
「ねえしゅかりー、もしこのまま大人に戻れなかったらどうしゅる?」
 問い掛けにスカリーは立ち止まる。
「どうするって……」
 すぐ後ろにいたモルダーを見下ろしながらスカリーは考え込む。
 もし戻れなかったら……。
 考えただけでもゾッとしてきて頭を振ると、きっぱりと答えた。
「なんとか元に戻れる方法を探すまでよ」
「そう言うと思ったよ」
 肩を竦めたモルダーはスカリーと共に今は2人の保護者であるマーガレットの所へと戻っていった。



To be continued...




by 歩々

 

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