■猟奇的な彼女■
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年の数だけのキスを 君に。。。 by 櫻子さん
「年の数ですって?」
彼女の眉がピクッと反応した。
ふれる寸前だった、可憐なくちびるが遠のく。
言い方がまずかったかな…。
「えーっと、要するに、たくさんキスしたいんだ」
「たくさん? つまり、わたしの年は、たくさんキスができるほど、多いということ?」
右眉が、さらに鋭角的になる。
僕は、まさか彼女がそんなに年齢を気にしているとは、想像もしていなかった。
初めて地下室のドアを開けて現れた時から、彼女はすでに魅力的だったけれど、年月を重ねてゆく中で落ち着きが加わり、妖艶さが備わり…、ああ、とにかく今では、直視するのもためらわれるほど綺麗なんだから…。
不機嫌になってしまった彼女に途方にくれつつも、なんとかなだめて、レストランへ行った。
ゆったりとした店の雰囲気とおいしい食事。
誕生日だというのに、年齢に触れない会話を心がけた僕の努力。
車内から続いていた緊張状態も徐々に緩和され、当初の計画通りデザートは僕のアパートで楽しむこととなった。
スーツをTシャツとジーンズに大急ぎで着替えて、キッチンに向かう。
ろうそくは、ちゃんと3○本(自主規制)用意してあった。
しかしケーキには8本だけを立てて、火をつけた。
特大の1ホールに、ちょっと寂しい感じはするが、この際しかたない。
「スカリー、目をつぶれよ!」
キッチンからカウチに座る彼女に声をかける。
途中で小さな灯が消えたりしないように、トレイに乗せたケーキを用心深くリビングに運ぶ。
ついでに、肘で照明のスイッチを切った。
トレイをテーブルに置き、彼女の隣に腰を下ろして準備OK。
「いいよ。目を開けて」
「すごいわ、モルダー! なぜ、こんなに大きなケーキなの?!」
ほんのわずかに残っていた気まずさを、あとかたもなく吹き飛ばす笑顔。
青い瞳にろうそくの炎が映って、キラキラと輝いている。
「だってさ、そのサイズでなきゃ、年の数のろうそくが立てられ…」
しまった…。
満面の笑みと明るい声のトーンにうれしくなって、注意を怠った。
彼女の表情がどんどん険しくなってゆく。
「そうだ! まだ、プレゼントを渡していなかった」
なんとか機嫌を直してくれ。
このままだと、史上最悪の記念日になりそうだ。
ハンガーに掛けたコートの内ポケットから目当てのものを取り出して、彼女の前に置いた。
ピンクのリボンでドレスアップした長方形の箱。
彼女は少しだけ、口の端を持ち上げてくれた。
そういえば以前、アポロ11号のメダルをあげて失笑を買ったっけ。
あれだって、なかなかの贈り物だったよな。彼女の趣味とは少々違ってただけで…。
だが今回のは、かなり喜ばせる自信がある。
彼女の指がリボンを解いて包装紙を破く一部始終を、隣から僕は期待を込めて見守った。
白い箱のふたが開かれる。
「…なに、これ」
「何って、見ての通りだよ」
「…“メス”ね、どう見ても」
「どうだい? ほら、柄の部分に、君の名前も入れてもらったんだ」
銀色に輝くシャープなフォルム。
流れるようなブラッシュ体で彫られた“ダナ・K・スカリー”の文字。
これこそ完璧な誕生日プレゼントだ。
「ありがとう。とっても素敵なプレゼントだわ」
やった!
「…なんて、言うと思う?」
あれ?
「ふざけないでよ、モルダー」
顔を上げて向けられる視線の中の、静かな怒り。
「あなたは、いつでもそうだわ。私をからかってばかり。さっきの言葉も、…本気だなんて信じられない……」
語尾が震えて、彼女の目が潤んできた。
あ、また泣かせてしまう…。
「気に障ったんなら謝るよ。だけど、ふざけても、からかってもいない。それがいちばん喜んでもらえると思ったんだ。
僕がうちあけた君への気持ちにだって、これっぽっちも嘘はない。何かの芝居のセリフじゃないが、証明できるものなら、この胸を開いて心臓を…」
「見せて」
「え?」
「嘘じゃないなら、あなたの心臓を見せて」
低く、抑揚のない声音。
彼女が体ごとこちらに向き直る。
その右手には、僕からの誕生日プレゼント。
こ、こわい…。
ステンレスの刃先が、僕のTシャツを裾から切り裂いてゆく。
時々、肌に感じる冷たいメスの背の感触に、背筋がゾクリとする。
鋭い刃物への恐怖心からか、アブノーマルな状況が生む興奮からか、汗がにじみ出す。
「この皮膚の下に、リンパ腺があるのよ」
裂かれたシャツの肩口を引っ張っられて、首筋に彼女の湿ったくちづけ。
喉元を通り、胸まで滑り降りようとする動きが、甘い香りを残す。
「鎖骨の形がはっきりわかるわ」
指で触ったあと、くちびるがつける確認のしるし。
「肺よ。こっちにも」
「心臓がこのへんね。……相当な速さだわ」
彼女の肩と、てのひらがかける重力が、僕をカウチに横たわらせた。
半身をあずけられて感じる、彼女のやわらかさ。
君をこの腕に抱きしめたい。
でも…、その右手には、僕からの誕生日プレゼント。
赤い髪の毛先にくすぐられ、意識が現実を離れそうな僕は、彼女の講義も上の空。
“神経系統を…”とか、“胆嚢の色が…”とか、そんなことより君の素肌の温度が知りたい。
けど…、その右手には、僕からの誕生日プレゼント。
キスとともにゆっくりと下へと移動していた彼女の手が、ジーンズのボタンにかかった。
「ここと、ここに腎臓が隠れてる。そして…」
ピ――――――――――――――――――――――――
8本のろうそくはとうに燃えつきて、今この部屋で光を放つのは彼女の白い体だけだ。
僕の右胸に頬をつけて寝そべったまま、彼女はまだ、メスの背で僕の肌をなぞっている。
「こんな風にY字に切開して、肋骨を除けたら、内臓を取り出していくのよ。仕事じゃないから、計測する必要はないわね…。それをひとつずつ、傷つけないようにそっと、透明のガラスビンに入れるの。
キッチンには、いくつ…、いえ、それじゃ全然足りない。1個の細胞も無駄にしたくないわ」
柔らかい彼女の髪を指に巻きつけながら聞く、ささやくような声。
「いつも観賞できるように、窓辺に並べておこうかしら。ガラスが陽光を屈折させて、ホルマリンの海に浮かぶ、あなたの心臓や肝臓を、虹色に彩るの。きっと、すごくきれいよ」
胸の上で続く脅し文句に、おかしくなって、ちょっと笑ってしまった。
彼女が顎をあげて、僕の顔を見る。
「つまらないわ、モルダー。もっと怯えてくれなきゃ」
「だって、そんなんじゃ、ちっとも怖くないよ」
「どうして?」
「僕の細胞のひとつまでも、大事にコレクションしてくれるんだろう? いつでも目の届く所に置いてくれるって…。
それなら、本当にバラバラにされても、ずっと君のそばにいられるじゃないか。怖がるどころか、幸せのあまり、僕のかけらは保存液の中で踊り出してしまう」
「…ほんとに、つまらない」
不満の言葉と矛盾する愛らしい微笑みに、心臓の血管がぎゅっと収縮した。
ほらね。やっぱり僕の心臓は、嘘をつけない。
「だけどさ…」
「なぁに?」
「いや、なんでもない」
僕の保管場所は窓辺よりも、君の中がいいな、なんて…。
解剖以外での使用法を開発したメスを上にかざし見て、彼女が言う。
「ねえ、モルダー…。来年は、“ネーム入りの鉗子”なんて許さないわよ」
「ふぅん。ずいぶん気に入ってもらえたと思ったんだけどな、そういうの。…でも、実は、もう決めてある」
僕は、彼女の眼前に左手を広げた。
薬指をクイクイッと曲げてみせる。
「だから、この指だけは、君のコレクションに加えないでくれ。君へのプレゼントとおそろいのものを、はめなくちゃならないんだ」
End
2002/02
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