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Hollywood A.D.
多くのアメリカ人がそうであるように、私も映画は好きだ。
若い頃は、週末といえばダウンタウンの名画座に足を運んだものだ。
その度ごとに美しい女優たちに恋をした。
彼女たちが銀幕の中から私のもとに出て来てはくれないかと、本気で思ったよ。
ふ。確かに若かった。
…そういえば何年か前、妻(当時)にねだられて観に行った作品にそんなのがあったな。
映画好きの平凡な主婦が、スクリーンから飛び出してきた男性と恋に落ちる物語だ。
この私が、少々センチメンタルな気分にさせられた。
あの映画は、なんというタイトルだったろう…。
■カイロの紫のバラ 〜Reality Bites Version2〜■
実にいい映画だった。
ウェイン、良い仕事をしたじゃないか。才能溢れる友人を持って、私も鼻が高い。
おや、スタッフロールに私の名が…。『製作補佐』魅惑的な響きだ。
ところで、ふてくされて途中で席を立ったモルダーはどうしたかな。
今頃スカリー相手に、くだでも巻いているに違いない。
スカリーに対するやつの気持ちは一目瞭然だ。
だから私がウェインに助言して、あの棺桶でのキスシーンが撮られたはずだ。
粋な計らいに感謝こそすれ、悪態ついて出て行くことはないだろう、モルダー。
まあ、やつが耐えかねたのは、後のスカリー捜査官の台詞と思われるが、それについては私は関知していない。
“スキナー副長官を愛しているの”というやつだ。
あるいはウェインが、リサーチするうちに彼女の本音を聞き出したのかもしれん。
とすれば、あのふたりの関係は…。
証拠も無しに、疑いを持つべきではなかったということか。
いずれにせよ“私の”スカリーは、映画の中に住んでいる。今のところは、だが。
…ふふ。今夜はいい夢が見られそうだ。
爽やかな朝だ。L.A.の陽光は、私の気分も明るくしてくれる。
まあ、それだけが原因ではないが…。
ともあれ、D.C.に戻ってからの激務をこなす活力にはなりそうだ。
しかし、遅い。
モルダーはともかく、スカリーまでどうしたんだ?
2杯目のコーヒーも飲み終えてしまうではないか。
仕方がない。電話してみよう。
“……モルダーです”
「まだ部屋にいるのか? そろそろ出ないと、飛行機に乗り遅れるぞ」
どうやら寝ていたらしい。
いつもマイペースなおまえが羨ましいよ、まったく。
「スカリーも同じフロアだろう? 彼女もまだ降りてこない。声をかけてやってくれ」
モルダー同様まだ眠っているかもしれないスカリーに、上司である私が電話をするのは気が引ける。
生真面目な彼女を、こんな事で恐縮させては可哀相だろう。
さて、彼らが降りてくる前に、先にチェックアウトしておくか。
それにしても、昨夜の映画は素晴らしかった。
特にリチャード・ギアの役づくりには頭が下がる。
完璧に“私”を演じ切っていたではないか。
ギャリー・シャンドリングも、まさにはまり役と言えよう。
モルダーとて彼の演技に不満はあるまい。
だが、
お、やっと来たか。
「お待たせしてすみません」
すまないと思っているようには聞こえないぞ、モルダー。
やれやれ、ふたりとも夕べはずいぶん飲んだようだな。
モルダーは目の下にくっきりとクマをつくっているし、その横のスカリーも何かだるそうだ。
うむ…だが、やはりティア・レオーニでも、本物のスカリー捜査官には及ばないな。
素顔にもかかわらず、この美しさはどうだ。
おまけに、輝くばかりに白い首す…
………… え?
「…サー、何か?」
不審気に訊ねるスカリーの隣で、モルダーが含み笑いをしている。
い、いかん! 顔に出してはいかん!
「……いや、こんな高級ホテルにも蚊がいるんだな。しかも、相当でかい」
今の言い方は、私の威厳を保てていたか?
“わかっているんだぞ。しかし、目をつぶってやろう”という太っ腹な含みも表せていたか?
まさか“私のミューズに何をした!”と、声音に出ていたりはしなかったか?
…………。
動揺を悟られないうちに、さっさとエントランスに行ってしまおう。
FBIの要職にある今、私は自他共に認める現実主義者だ。
巷に溢れる犯罪。
組織社会のかけひき。
今の私にとって銀幕の中に夢を見る事は、いうなれば現実逃避だ。
例え事実がどんなに残酷なものであろうとも、目を逸らすべきではない。
わかっているとも。
だから、若い頃のように“あの女優がスクリーンから抜け出して来てくれれば…”などと思わない。
まして“昨日の映画のスマイリー捜査官(仮名)が出てきて、実際の彼女と入れ代わってくれれば”なんて具体的な事は、絶対に思わない。
ああっ! これっぽっちも思わないともっっっ!
そんな事が有り得るというのなら、誰か私を納得させるだけの証拠をみせてくれ。
動かぬ証拠を!
……証拠…。
確かに、やつらにはいつもうるさく言っている。
言ってはいるが…。
なにもこんな事で提出しなくても……。
クロークまであと数歩というところで、めまいを感じて足もとがよろけた。
次の瞬間、私がキスしていたのは銀幕のヒロインではなく、冷たい大理石の床だった…。
End
2001/09
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