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■普通の恋人■
「ちょっと、モルダー……」
穏やかな冬の土曜日の昼下がり。
じつに鬱陶しそうな声がカウチの上から聞こえてきた。
窓から注がれる暖かな陽射しのおかげでヒーターをつけなくてもいいくらい心地良く春めいてはいるが、時折窓が小さな音を立てているので外はやはり寒く今の季節が冬である事を思い出させてくれる。
週末を一緒に過ごすようになってからどれくらいになるのか……さほど時間がたっているわけでもないのにそれでも随分昔からこうやって過ごす事が当たり前のようでもあり……。
カウチに座って医学雑誌に眼を通していたスカリーは、自分の膝の上に頭を乗せ長い足を折り曲げるようにして寝転びながらテレビを観ていたモルダーが、急に向きを変えて柔らかな腹部に顔を押し付けてくるのを最初はそのまま好きさせていたのであるが、まるできかん気な子犬のようにセーターに噛み付いてきたので視線を雑誌から膝の上の恋人へと向ける。
「ちょっと、モルダー……」
セーターなんかに噛み付いてどういうつもり?という冷たい視線と言葉にも、モルダーはというとまるで頓着せず今度は服の中に潜り込もうとするので、いきなり白い手がそれを阻止した。
「やめてモルダー、このセーターこの間買ったばかりなのよ」
伸びたらどうしてくれるのよとめくれかけたカシミアのセーターを戻す。
「退屈なんだ」
お得意の子犬顔をちらつかせる。
「ならジョギングでもしてくれば?」
「君はこの寒空に僕を外に放り出すっていうのかい?」
「ならここを燃焼させればいいじゃない……」
そうすればそのお腹もなんとかなるんじゃないの?とどうでもいいような口振りで言葉を付け足しながら指先がモルダーの最近ちょっとだけ緩んできた腹部に向けられた。
「それもいいかも……」
もちろんそれを真に受ける彼ではない。
ちょっとした言葉遊び。
どこかへ遊びに出掛けるには少し遅く買い物に行くには少し早いこの時間は、彼女がかまってくれる間は最上の休日となり、今日のようにテレビにお守りをさせて他の事に目を向けている間はどうしてもかまってほしくてしょうがない休日となる。
だからこうやっていつも邪魔をして、最初はしょうがない人とばかりに適度に自分をあしらうスカリーの反応が楽しく、ついつい余計にちょっかいを出してしまう。
「ねえ、スカリー。僕らは仕事となればがむしゃらに働き時には互いの意見を激しくぶつけ合うというのに、今の僕らときたらどこにでもいる普通のカップルにしか見えないよね?」
今度は仰向けに寝そべり頭上の医学雑誌を指で突付いても完全無視を決め込んで雑誌に集中しようと努力するスカリーに話し掛けては邪魔をする。
「見えないもなにも……」
雑誌から視線を外そうともせず、スカリーは今度は後頭部をぐりぐりと自分の膝にわざとこすりつけてくる男をどうしてやろうかと考えつつもそれを悟られないようにしながら言葉を探す。
「私は仕事とプライベートは分けていたいの。だから……」
「だから今は普通の恋人?」
なんとなく照れくさくて言えずにいたスカリーに代わってモルダーが代弁する。
スカリーは思わず雑誌をずらして見下ろす。
途端にモルダーが身体を起こしたので咄嗟の事で身を引いてしまったスカリーの手から雑誌は奪われた。
「ちょっと……」
返して頂戴と腕を伸ばすが届かず立ち上がって奪還しようとした雑誌は立ち上がったモルダーによって更に天井近くにまで昇っていく。
それを追ってスカリーはカウチの上に上がり込んでほんの一瞬の差でページの一部を掴んだが、ビリビリという音と共に破れてしまった。
「モルダー……」
なんて事してれくたのと睨み上げるスカリーの視線の先にいるのは、彼女同様にカウチの上で立ちながらヤバイとばかりに思わず首を竦めたモルダーの姿。
「ごめん……」
謝りながら雑誌を返す。
そのまま読書に戻ったスカリーの隣で、モルダーは大人しくテレビに眼を向けるが……
どうにも落ち着かない。
せっかくの週末だっていうのに、そんなにその本が大事なのか?
こっそり購読中止の連絡でも入れておこうか……。
こんな事なら大人しく膝枕してもらっておくべきだったよ。
かまってほしいというオーラを全身から発散している彼の姿に、無視を決め込んでいたスカリーもとうとう根負けした。
雑誌をテーブルの上に置くとおもむろに立ち上がる。
何処へ行くのだろうかと後追いする子供のように寝室へと向かうスカリーの後ろ姿を目で追いながら立ち上がりかけたモルダーの前に彼女は再び姿を現す。
手にしているのは2人分のコート。
「出掛けましょう、モルダー」
「どこに行くつもりだい?」
彼女の手からコートを受け取るとそれを羽織りながら部屋を出る。
「さあ……」
曖昧な微笑みを浮かべたスカリーと連れ立ってアパートを出ると、運良く風は止んでおり冬の冷たい空気と暖かな陽射しが2人に降り注ぐ。
とりとめのない話をしながら並んでゆっくりと歩く。
先週久しぶりに会った高校時代の友人との思い出話、局の近くのカフェは意外に穴場で今度は一緒に行こうとか、事件の話題にはあえて触れないでおく。
程なく目に入った公園へと足を向けると、2人は手近なベンチに落ち着いた。
「たまにはこういうのも悪くないな」
時折目の前を通り過ぎる通行人に眼をやりながらモルダーはぴったりと寄り添うスカリーの肩を抱く。
「そうね……最近休みといえば部屋の中でずっと過ごしていたから……」
「それは僕のせい?」
ニヤリと笑って見せるモルダーにちょっと眉根を寄せたスカリーが軽く睨む。
「誰かさんが一日中離してくれないおかげでね」
「ならこれからどこかへ行かないか?」
「はあ?」
彼が唐突なのは百も承知であるが、また突然すぎる。
散歩ついでに近くのマーケットに寄ってから帰るつもりだったから、余計にスカリーは面食らっていたがモルダーはお構いなしだ。
「明日1日しかないからそう遠くへは行けないけど、君の行きたい所へ連れていってあげるよ」
ただしショッピングはごめんだからなと釘を刺すのも忘れない。
だがかえってそれがスカリーの警戒心を煽ったらしい。
「ねえ、モルダー……何を企んでいるの?」
まさか週明けにまた突然「これはX−Filesだ」とか言いながら地球の裏側にでも連れて行くつもりかしらと考えてしまうあたり、彼女も思考もかなりモルダー化しているようだ。
そんな彼女の思いを知ってか知らずか、モルダーは立ち上がるとスカリーの手を掴んで立ち上がらせる。
「別に何も。ただ君とはプライベートな時間ぐらいは普通の恋人として過ごしたいだけさ」
「普通の恋人……ねえ……」
手を繋いで並んで歩きながら2人はゆっくりと公園を後にする。
「ねえ、モルダー。普通の定義ってどういったものなのかしらね?」
部屋の中とはうって変わって優しい穏やかな声に、モルダーは眼を細めて答える。
「今の僕たちの事をいうんだろ?」
その言葉にスカリーはとても満足した。
たぶん……。
end

by 歩々
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