スィート・パティシエール 〜 3つの甘いお菓子な話 〜

■Sweet memory■   〜 抹茶ムースチョコクリームがけ 〜



 場内コースを一巡する間、モルダーはスカリ―に怒鳴られっぱなしであった。
「ウィンカーが出ていない!」
「後方確認は?!」
「あなたバイクを巻き込むつもり?」
「いったい、何キロ出してるのよ!」
 おっかないとは聞いていたが、ここまで口うるさいとは思わなかった。
 密室云々と妄想する以前の問題だ。
 おかげで発着場に辿り着く頃にはもう、すっかり気力を使い果たしてしまった。
「ここでやめる?」
 ぐったりとハンドルにもたれ掛かるモルダーに、スカリ―の勝ち誇ったような声が降り掛かる。
 冗談じゃないゾ、免許がなけりゃこっちは死活問題なんだ。
 ハンドルから顔を上げたモルダーは口の端だけで笑ってみせる。
「まさか。このまま教習を続けてくれよ、教官」
「なら、このまま路上に出るわよ」
 情け容赦ない彼女の言葉にモルダーは小さく溜息をつくと、すっかり暗くなってしまった公道へと車を走らせた。

「そこ右に曲がって……次の信号を左……そのまま暫く道沿いに進んで……」
 静まり返った誰もいない暗い道路を走る教習車の中で聞こえてくるのは抑揚のないスカリ―教官の声だけが静かに響く。
 もとよりモルダーは運転技術にはまったく問題のない。
 ちょっと注意して運転すれば、こんな人通りのまったくなくほとんど一直線に近い路上コースなど彼からすれば、それこそ赤子の手をひねるよりもたやすかった。
 こうなると、軽口を叩く余裕も出てくる。
「なんで教官なんかやってるわけ?」
「あなたには関係ないわ」
 冷たい視線と共に返ってきた言葉は氷の如く冷たかったが。モルダーはメゲる様子もない。
 少なくとも、ヒールで蹴られる様子もないし。
「でも、教官をしているって事は君も公務員って事だよね」
「君もって……あなたもなの?」
「まあね……」
「とてもそうには見えないわ」
「どうして?」
「だって……免停になった公務員なんて、少なくとも私は見た事がないもの」
 そう言ってくすりと笑ったスカリ―の姿に、モルダーも横目でちらりと様子を窺ってから笑顔になる。
 笑った彼女は想像した通り、チャーミングで可愛らしかった。
 先程の人を寄せ付けぬ雰囲気はまるでない。
 なんとなく和やかな空気にモルダーが口を開きかけた時であった。
「止まって!」
「え?!」
 スカリ―の指示にモルダーは車を端に寄せて停止する。
 百メートル程先に進んだ道端に非常用の発煙筒が炊かれているではないか。
 その先にあるのは、一台のワゴン車。
「故障かしら……」
「行ってみよう、スカリ―!」
「ちょっ、モルダー!……もうっ!」
 止める間もなく車から降りたモルダーがワゴン車に向かって走り出したのを見て、スカリ―も仕方なく車から降りると後を追う。
 ひと足先にワゴン車に辿り着いたモルダーはポケットから懐中電灯を取り出すとボンネットを開けて中を覗きこんでいるまだ二十歳前の若者にそれを向けながら声を掛ける。
「どうしたんだ?」
 声を掛けられ、男は初めてモルダーに気付いたようだ。
 驚いたのであろうか持っていた工具を落としそうになりながら、懐中電灯の灯りに眩しそうに顔を僅かに逸らせぎこちない笑みを浮かべてみせる。
「バッテリーが上がったわけでもないのに、突然車が止まってしまって……」
 その言葉にモルダーはライトをエンジン部分に向けるが、確かに冷却部分にも異常が見られず一見すると故障しているように見えない。
 そこへスカリ―も追いついた。
「どうしたの?」
 男は連れがいたとは思わなかったのであろう、目を丸くしながらも状況を説明しようとするがその前にモルダーが口を開く。
「故障らしい」
「あなた、警察に連絡は?」
「それが、セルを家に忘れて……」
 スカリ―の言葉に男は申し訳なさそうに頭を掻いている。
「僕等の車でスタンドまで牽引しようか?」
 モルダーの申し出に男は首を振ると、
「いや、そこまで迷惑はかけられないよ。悪いが一番近くの電話で僕等の居場所を連絡さえしてもらえないかな?」
「じゃあ、私が連絡……!」
 全身を強張らせたスカリ―の声と気配にモルダーは彼女から男へと視線を向ける。
「……油断したよ……」
 緊張したように黙り込んだスカリ―の隣でモルダーは皮肉っぽい笑みを浮かべながら静かに両手を頭の上に上げた。
 目の前の一見すると人の良さそうな笑みを浮かべた善良な市民を装った男の手に握られている拳銃がまっすぐに2人に向けられている。
 同時スモーク処理を施したワゴン車の後部座席から出てきたのは、目の前の男と同じ年頃の2人の男。
 恐らくこの町の少々手癖の悪いチンピラらしい。
「こんな単純なテに引っ掛かるなんてな」
「まったくよ〜」
 背後の2人は武器らしきものは所持してはいなかったが、目の前の男は一定の距離を保ったまま油断なく銃口をこちらに向けたままである。
 どちらにせよ、このままでは動けない。
「悪いな、金さえ出してくれたら悪いようにはしない」
 目の前の男はそう告げるが、背後の男2人はモルダーのポケットをさぐって財布を引っ張り出し懐中電灯をスカリ―に向け口笛を吹いた。
「すげえ……」
 欲望に満ちた視線にスカリ―は僅かに眉をしかめる。
 この状況下で彼女は騒ぐ事なく大人しくしているが、どうやら恐怖のあまり動けないというわけではないらしいという事にモルダーは気付く。
 彼女は冷静に対処しようとしているのだ。
 だが、背後の2人はスカリ―の腕を掴むとそのままワゴン車に引き摺り込もうとするのに、モルダーは声を上げる。
「おい、金が目的なんだろう!」
「動くな!」
 慌てて目の前の男が銃を構えると同時に、モルダーが動いた。
 乾いた音を立てて弾は発射されたが、弾はモルダーのジャケットに当たって跳ね返ったではないか。
 猛然と飛び掛ったモルダーは暴れる男を取り押さえようと必死だ。
 その音に2人がかりでスカリ―を車に押し込もうとしていた男たちも動きを止めた。
「放しなさい!」
 足首を掴んでいた男の手が緩むのを感じたスカリ―はその手を振り解くとヒールで男の顔面を蹴りつける。
「ぐあっ!」
 思わず両手で顔面を抑えながら地面に転がる男の姿に車内でスカリーを羽交い絞めしていた男が怯むが、彼女の肘鉄をもろに喰らいあえなくダウンした。
「モルダー!」
 車から這い出したスカリ―は、目の前の光景に唖然となる。
「君こそ、大丈夫……みたいだな」
 後ろ手にねじり上げた男を大地に押さえつけたまま、モルダーは小さく安堵の溜息をついた。


 街の警察署でそれぞれ別々に事情聴取を受けたモルダーとスカリ―が開放されたのは、すでに午後9時近かった。
 教習車である車をセンターに返さなければいけないとスカリ―は講習は終了だと告げてモルダーに帰宅を命じる。
 だが彼は首を横に振ってそのまま運転席に乗り込んだ。
「また講習は終わっていないよ、教官」
「……勝手にしなさい」
 物好きなとスカリ―もモルダーの好きにさせる事にする。
 帰り道にまた同じ道を通るがそこにはもうすでに誰もおらず、彼はまた道の端に車を止めた。
「……モルダー?」
 訝しげに尋ね、初めて今の状況に気付き口を閉ざす。
 誰もいない街灯すらない町外れで2人きり。
 車に乗り込む時のモルダーの「密室」という言葉を思い出す。
 まさに車という密室内で2人きりなのだ。
 だがモルダーはベルトを外したものの、それ以上は動く様子はない。
「今日は……驚いたよ」
「ねえ、あれが偽物だっていつ気付いたの?」
 男が持っていたのがモデルガンである事は、モルダーは最初見た時から気付いていた。
 だがそれには答えず身体を起こすとスカリ―の方を向く。
「偶然だよ、僕は勘が働くんだ」
「だからって、あんな無茶を……もし本物ならあなた死んでいたのよ!」
「そういう君こそなかなか見事な蹴りだったらしいね。相手は顔面骨折と肋骨にヒビが入っていたそうだよ」
 ニヤリと笑ったモルダーにスカリ―は目を逸らしながらもはにかむように笑って見せる。
「それこそ偶然よ。それよりあなた、もしかして警官?」
「違うさ、君こそ本当は警官だろ?」
「違うわ……」
 互いの答えをはぐらかしながらも問い正す。
 同じ経験をしたという事が2人の間にある種の連帯感を生み、そして共に危機を乗り越えたという安堵がある種の興奮を呼び起こす。
 互いにそれに気付いていたが、彼女はそれを表には出さず奥底にしまい込もうと俯きこの場を回避しようと試み、彼は感情を素直に吐露する道を選び行動を起こした。
「でも君が無事で良かった」
 腕を伸ばし助手席のスカリ―の肩を軽く押さえもう片方の手が白い頬に滑らせると、唇を重ねる。
「……駄目……」
 両腕でモルダーを押し返すがその力はあまりにも弱々しく、一度離れた唇がまた降りてきた時にはもう軽く唇を開いて受け入れ彼の口吻けに応えていく。
 ゆっくりとスカリ―の唇を味わいながら、ドアを全てロックしてエンジンを切る。
 エンジン音が消え急速に訪れた静けさの中で響くのは唇を重ね舌をからませる濃厚なキスの音。
 そのままのしかかるようにモルダーは助手席のシートを倒す。
 小柄な彼女を押し潰さないよう注意しながら唇から首筋へと唇と舌で愛撫を移動させようとした時、小さな両手がモルダーの胸を押して拒絶した。
「待ってよ……こんな所で……」
「じゃあ、場所を変えるかい?」
 ブラウスのボタンを外す手を止めぬまま悪戯っぽく笑いかける。
「そうじゃなくて……あなたまだ講習中なのよ?」
「君はさっき、終了だって言ったじゃないか」
 焦るスカリ―が可愛くて、同時に今までどの女にも感じた事のない狂おしいまでの愛おしさに沸き起こる男としての独占欲と所有欲を残された理性でなんとか押さえつけていく。
「そうだけど……ねえ、以前観た映画でヒロインが主人公にこう言ったわ」
 話をはぐらかそうとするが、すでにブラウスのボタンは半分近く外されレースのブラが顔を見せている。
「なんて?」
「異常な状況下で結ばれた男女はうまくいかないって……」
「知ってる。それ、『スピード』っていう映画だろ?僕も見たよ。
ラストで主人公もヒロインに同じ事を言ってた」
 額に頬に唇にキスをして注意を逸らしながらもボタンを外す事は決して怠らない。
「なら……」
 なんとか逃れようとするが、チンピラを一撃でノックアウトした足からはすでにヒールが脱げ足の付け根近くまでめくれ上がったスカートからはガーターが顔を出しモルダーの膝がスカリ―の両足の間に入って固定している。
 それ以前に彼女はもうモルダーの唇を首筋に感じた時から力が思うように入らずただ弱々しくもがくことしかできなかった。
「君は忘れているかもしれないけど、主人公の言葉にヒロインはこう言ったんだ
『セックスで結ばれよう』ってね」
「……」
 返す言葉がない。
 すでにボタンはすべて外されブラウスはスカートから引っ張り出されて完全に前は開放されて形良い豊かな胸がブラに包まれたままとはいえ、モルダーの前に晒け出されているではないか。
「でも、こんな所で……」
 これではまるで変態だと口の中で呟くのを、モルダーは聞き逃さなかった。
「もう同僚たちからは僕は『変人』と呼ばれているからね。今更驚かないよ」
 あれだけ教官とは思えないようなきわどい格好をしておまけに年上のモルダーを怒鳴り散らしチンピラ2人を撃退したというのに、今の彼女にその面影はまるでない。
 ギャップの激しさにモルダーはもうこれ以上愛おしさと興奮を押さえる事ができなくなる。
 わかっていた。
 43番教室の扉を開けた時から、自分はもう彼女に恋をしてしまったのだと。
 同時に自分の勘が告げていた。
 彼女も同じであるという事を……。
 スカリ―の腕から完全に力が抜け全身をシートに預ける。
「愛してる、教室の扉を開けて君を見た時からね……」
「……モルダー……私……」
「異常な状況下で結ばれた男女はうまくいかないっていうのなら、いまから普通にセックスで結ばれよう」
「あなたって……本当に……」
 しょうがない人とスカリ―は諦めたように両腕を伸ばしモルダーのブラウンの髪に触れて引き寄せる。
 それが答え。
 ブラウスの中に手を入れて華奢な背中に回した指先がブラのホックを外して押し込められていた胸を開放すると頂きを彩る赤い果実を唇で吸い舌で絡め軽く噛む。
 僅かに背を逸らせ呻き声が噛みしめた赤い唇の間から漏れ出る。
 甘い声を抑えながらも震える指でモルダーのシャツのボタンを外していく。
 自分だけ見られるのが恥ずかしかった。
 誰にも感じた事のない激しい感情に戸惑っていた。
 厭らしい視線を向け破廉恥な行動に出ようとした講習生の顔面にヒールで蹴りを入れた事もある。
 だが今は自分に覆い被さっている会って間もない男が愛しく、同時にこれ以上はもう抑えきれない興奮に流されていく。
 すでにジーンズの上からでもはっきりとわかる彼の男としての熱い本能を膝に感じた途端、彼女は我慢できず腕を伸ばすともどかしげにベルトを外しジーンズのボタンを外そうと格闘した。
 その間にもモルダーは彼女を手と口で愛撫するのを止めないままもう片方の手で完全に捲れあがってしまったスカートの下に隠されていたガーターに包まれた白い腿を撫で上げていく。
 ガーターと同色のショーツに辿り着くと引きちぎらんばかりに剥ぎ取るのと同時に、モルダーの欲望の証が開放された。
 常とは違う状況が生み出す興奮にモルダーが彼女のそこに手を差し込んだ時、すでにそこは充分すぎる程濡れていたが、彼はすぐに身体を重ねようとはしなかった。
 指で花弁をなぞり辿り着いた花芯を2本の指の先でこすり上げると、思わず声を漏らすスカリ―の唇を塞ぐ。
 舌で彼女の歯列をひとつずつなぞり絡ませてきた彼女の舌をきつく吸い上げる。
 掌にまで伝わってきた蜜の熱さにたまらず溢れ出す泉に直接指をひたす。
 彼女の全てを自分の舌で味わいたかった。
 だが狭い車内でしかも助手席に2人というのはあまりにも狭すぎる。
 しかも同じように興奮を抑えきれなくなったスカリ―がモルダー自身を愛撫していく。
 思わず呻き声を上げたモルダーは我慢できなくなった。
「ごめん、もう……」
「……んっ!」
 自分の身体の下で抑え気味であるが甘い声を上げ続けるスカリ―の両足を思い切り開き自分の身体を割り込ませると、できるだけゆっくり侵入を開始する。
「……っ!」
 それでもいくら濡れているとはいえモルダーの性急すぎる行為にスカリ―は思わず痛みを覚えるが、やめて欲しいとは思わなかった。
 激しい情熱を迸らせているのは、自分も同じなのだ。
 少しでも痛みを和らげようとゆっくりと動き続けるモルダーの指に自分の指を重ね、強く握り締める事によって想いを伝えようとする。
「……あッ……あぁっ!」
 激しい律動に耐え切れず、車も激しく揺れる。
 すでに車内は2人の熱い息と体温で蒸し暑い程となり窓ガラスも全て曇って何も見えないが、リズムを取るかのように激しい車の揺れに何が起こっているのか外からでも一目瞭然であった。
 だがもう何も考えられなかった。
 抑えきれなくなった激しい情熱に後押しされてモルダーは高まる快楽に動きを早め、スカリ―もまた高みに昇り詰めていくのと同時に完全に声を抑えるのも忘れ、ただ与えられる快感を受け入れる事しかできない。
「やぁっ!……いや……もうっ!」
「……僕も……!……」
 車は一際激しく揺れ動き、唐突に動きは止まった。



 ……*年後、同日同時間同場所。



「……まさかあの後に君が配属されるとはね」
 そう言って悪戯っぽく笑いながらヒマワリの種を窓から吹き飛ばすモルダーに、スカリ―は思わず全身の血が逆流したような錯覚を覚える。

 無事に講習を終えたモルダーが仕事に戻って数日後、スキナー副長官に連れられてやって来た新しい相棒がスカリ―であった。
 副長官の前では涼しい顔をして取り繕っていたモルダーであったが、2人きりになった途端思わず彼女を問い詰める。
「これはどういう事なんんだ?説明してもらいたいものだな」
「あなたがどういった人物なのか知りたかったのよ」
 何食わぬ顔でそう告げたスカリ―は、新しい配属先であるXF課のモルダーの噂をあちこちから聞いていた。
 あまりに突拍子もない噂だけに実際はどういった人物なのか、彼女なりに知りたくなったのだ。
 そして独断捜査の帰りに免停をくらったという情報を小耳にはさんだ彼女は上層部に頼み込み、彼が講習に訪れる日の数日前から教官としてセンターに臨時に配属されていたのである。
「でも、なんで運転講習なんだ?」
「車の運転って、その人の性格が一番良く出るからよ」
「で、判定は?」
 どこか不安げなモルダーにスカリ―は少しの間考えるそぶりをみせていたが、わざと真面目くさった顔で判定を下した。
「とりあえず……合格かしら」
「それは、捜査官として?それとも……?」
 最後まで言わせず、スカリーはモルダーの唇をキスで軽く塞ぐ。
「それこそモルダー、今後のあなたの行動次第よ」

「もう!その話はしないでって言ったでしょう!」
 思い出す度に顔から火を吹きそうになる。
 首筋まで赤くなるスカリ―をからかうのが面白くて、毎年この時期になるとモルダーはこの話を持ち出してくるのであるが、彼女自身も身体が熱くなるのが止められなかった。
 自分でも、あの時はどうかしていたのだと思いたかった。
 資料とは違った目の前に現れたモルダーにひと目で恋に落ちた。
 だがあの頃は医者として大人の女としてのプライドがそれを告げるのを許さなかった。
 だからわざと冷たい態度で反応を見てしまったのだ。
 ガーターを直している姿を見られたのは……あくまでも偶然の産物だ。
 緊張のあまりノックされた事に気付かなかったのもきっとそうなのだと思いたい。
 もちろんそんな事は今でも口が裂けても言えなかったが……。
 ただでさえこの1週間ずっと忙しくまともに顔を合わせる機会もなかったのだ。
 この週末はゆっくりと休みたかったが、相棒であり恋人でもあるこの男の眼差しもすでに熱いものである事に気付く。
 だがその前にしなければならない事があった。
「そうだ。モルダー、これ……」
 そう言って恥ずかしそうに差し出したのは、一枚のカードとラッピングされた小さな箱。
「……なに?僕等の出会いの記念日?」
 受け取ったモルダーはきょとんとスカリ―を見た。
「違うわ。なにって、今日はバレンタインよ……」
「あ……そういえば……」
 すっかり失念していた。
 出会うと同時に恋に落ちた日がバレンタインとは、運命も粋な計らいをしてくれたものだと今更ながらモルダーは今まで一度もこの日に何もくれなかったスカリ―の心変わりを感謝する。
「これ、僕に?」
「他に誰が?」
 呆れたようなスカリ―の様子にモルダーはカードに書かれた文字に、破顔した。
「僕のも受け取ってもらえるかな?」
「あら、忘れていたんじゃなかったの?」
「まあね。でも、いますぐ返す」
 そう言って、モルダーは膝の上に散らかったひまわりの種を払い落とすと車の窓を閉めオートロックする。
「ねえ、まさか……」
 嫌な予感にスカリ―はドアのロックを解除しようとするが、すでにモルダーが座る運転席側からでないと操作できない。
「そのまさかさ」
 そう言ってモルダーは唖然としているスカリ―にキスを贈る。
 もちろん贈り物はそれだけではなかったが……。

 車の外には誰もいなかった。
 おまけに車の窓は真っ白で中の様子は窺い知ることは不可能だ。
 とはいえ……僅かに声が漏れ出る車は激しく揺れ車内で何が行われているのか、それは一目瞭然であるのは言うまでもない。



End




菓子職人:ヘタレーナ・トムヤムクン

 



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